八房は魔物か？

　単身敵陣に掛け入り、敵の大将安西景連の首を奪った八房。このときの彼は普通に猛犬という枠ではくくれない、荒ぶる魔性ともいうべき性質を見せつけている。実際彼が、里見義実に対する恨みを抱いて死んだ玉梓の怨霊の影響下にあったことが間もなく明らかになっている。しかし八房はいわゆる〈魔物〉なのだろうか。

　彼の育ての親である妙椿狸は親兵衛の仁の玉の光に打たれ、背中に「如是畜生発菩提心」の八字を浮かびあがらせて死んだ（庵室にも「南無阿弥陀仏」の掛け軸を掛けておけず「南無〓（こざとヘンに安）〓（弓ヘンに民）〓（こざとヘンに太）〓（にんベンに勿）」という同音異字の当て字掛け軸を使用している）。偽一角の化け猫も雛衣の傷口から飛び出した礼の霊玉に打たれて正体をあらわにした。

　悪者以外でも本物の赤岩一角は幽霊であるがために霊玉を持つ犬飼現八のそば近くに寄ることができなかった。魔性の者にとって犬士の霊玉は大の苦手、命とりともなる存在なのだ。

　しかし八房の場合、仁義八行の玉を数とりに使った数珠を常に身につけている伏姫のそばで長年平気で暮らしている。このころはまだ伏姫が普通のお姫さまにすぎず、玉がその後のような聖性を帯びていなかったとも考えられるが、これはもともと役行者が〈お守り〉にとくれたものであって、最初からある程度の霊験はあるはずなのだ。実際数珠を身につけてからそれまで伏姫が抱えていた障害−泣いてばかりいる、言葉を話せない−がきれいさっぱりと治っている。

　だが八房は玉の文字が仁義礼智忠信孝悌だろうと如是畜生発菩提心に変わろうと、まったく動じていない。伏姫の日々の読経にも、熱心に耳を傾けやがては煩悩を離れて菩提心に目覚めてしまう。読経を聞いて苦しんだりはしないのである。　

　思えば八房は母犬の出自もはっきりしていて、〈乳母〉が魔性の者であることを除けば本来普通の犬なのである。「ひとつ子は逸物」には違いないが、まあそれだけである。彼は精神的には乳母の影響を受けたが、根本的な体質にまでは影響をうけなかったようだ。

　というよりむしろそれこそが玉梓が母親を亡くした子犬を育てた理由だったろう。役行者の数珠のせいで、自分が直接に伏姫にたたることができなくなったため、自分に代わって里見家への復讐を果たしてくれる、それでいて霊験グッズによって行動を制約されない存在が必要だったのだ。

　ただしこれは諸刃の剣とも言えた。根っからの魔物でないゆえに、八房は伏姫の読経によってはやばやと解脱し結果的に玉梓を裏切ったのである。これにこりたものか、二十数年を経て再び里見に仇なした玉梓（妙椿）は、蟇田素藤軍のフィクサーとしてかなり積極的に対里見戦に関わってゆくことになる・・・。

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