のんきすぎる行徳戦
対管領戦において行徳の防禦使は、基本的には大将犬川荘助、副将犬田小文吾である。基本的には、というのは、この二人途中で二度立場を入れ替えるからである。
一度目は第百六十三回、妙見嶋を攻め破った小文吾が（その時荘助は別の場所で戦っていた）、「我君の御本意に、違ふて殺すは要なし」と生け捕った敵兵百五六十人を髷のみ切り捨てて船に乗せ、食糧まで与えて海に流したときである。
あとから話を聞いてすっかり感じ入った荘助は、敵を一人も殺さなかった小文吾に対し、自分の手勢は多く敵を殺傷したこと、敵をつい深追いした無防備さを恥じ、「今日よりして防禦使の、上坐は和殿に譲りて、我は則（すなはち）副将にならん」と言い出す。もちろん小文吾は辞退するが、ゆずり合いの末、結局小文吾が大将、荘助が副将ということに落ち着く。時に文明十五年十二月五日。
二度目は第百六十四回、先陣を努めた小文吾が、大将自ら敵の猛者二人を相手どって戦った（もちろん勝った）のを、「縦（たとひ）其功ありとても、匹夫の勇を事として、敢士卒に譲る事なく、那（かの）二勁敵（きやうてき）と戦ひ給ひしは、いと危しとも危かりき」と荘助がたしなめたときである。
荘助の言の正しさを認め反省した小文吾は、荘助に大将の座を返すと言い出す。荘助は固辞したものの、結局は大将の座につき、小文吾は再び副将の座につく。時に文明十五年十二月六日。
・・・何やってんだこの二人は。長期戦の最中に敗戦の責任などによってトップがすげ替えられることはあるが、たかだか二日の間にトップがくるくる入れ替わるのである。指揮系統が混乱して軍の機能が低下してしまうのではないか。
『椿説弓張月』の第六十七回に、琉球の漁民らが偶然人魚を獲るエピソードがある。当時琉球国王は空位だったので、彼らは苞苴（あらまき）にした人魚を琉球の英雄・為朝に献上するが、「われ國王にあらざれば、ひとり放（ほしいまゝ）に受がたし。はやく中城へもて参るべし」と拒否される。そこで中城に住む為朝の妻・寧王女の元へ持っていくが、夫が受け取らぬ物を自分が取るわけにはゆかぬ、と、ここでも拒絶。
そこで為朝の息子・舜天丸の元へ持っていくと、両親の受け取らぬ物を自分が取るわけに行かないから、もう一度父のところへ持ってゆき、それでもだめなら母のところへゆくように、とまたまた拒否されてしまう。
そんなことをやっているうちに肉が腐ってしまったので、漁民らは泣く泣く人魚を捨てるはめに。彼らにいらぬ苦労をかけたことを「今や國よく治りにたれど三省に主なければ、民の心も定らず」と反省した為朝たちは、正式に国王を定めることにする。
このエピソードも、そのモデルとなった『日本書紀』の「仁徳天皇」のエピソードも、トップが誰なのかはっきりしていないと下の者が困る、ということを伝えてくれる。それは行徳の里見軍も同じはずだ。
にもかかわらず兵たちは「謙遜辞譲、儀あり礼あり、人の及ぬ這（この）美事を、感ぜぬ者なんなかりける」とすっかり感激しているのである。上も下ものんきだなあ。内心「伏姫神の冥助あるかぎり絶対負けるわきゃない」と安心しきっていると踏んだ。
いやそれ以前に、彼らを大将、副将に任じたのは里見義成なのである。義成の許しなくして勝手にポストを入れ替わるなど越権行為のうえ義成の人選に非を唱えているに等しいんじゃないのか。それが問題にもならず、むしろ謙譲の美徳とたたえられ、戦にもしっかり勝ってしまう――このへんが里見家の里見家たるゆえんなんだな、きっと。
追記−二犬士の地位譲り合いについて、行徳里見軍の登桐良干は、
「館は人を知り給ふ、良将にて御座（をはしま）せば、田と川の二犬をもて、正副の二将に做し給ひしは、那（かの）余りある所をもて、這（この）足ざる所を補ふ、御軍配なりけんを、那二犬士は、みづから居らず、迭（かたみ）に其小過をもて、或は正将の席を譲り、或は正将の席を返して、其褒貶を士卒に示すは、則（すなはち）是忠臣の、真面目といはまくのみ。
犬川・犬田が殺伐の、一挙は館の御本意に、違ふの故に、みづから貶して、倶に愆（あやまち）としぬれども、事皆勝利ならぬはなし。世の人通（なべ）て愆を、飾らぬは稀なるに、愆ならぬ愆を、愆としてみづから貶せる、心操（こゝろばへ）こそ憑（たのも）しけれ。意（おも）ふに犬田が今日の挙動は、匹夫の勇と知りながら、那便宜をもて犬川に、正将の上坐を、返さんとての所行なるべし。」
と語っている。全体としては二人を称えているが、太線部分は「殿は適材適所で配置を決めたんだから、勝手なことするなよ」という意味合いを、良干の言葉を借りて、それとなく馬琴がほのめかしているように思えないでもない。
参考：坂本太郎他校注『日本古典文学大系６７ 日本書紀 上』（岩波書店、１９６７年）
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