『八犬伝』における家庭内紛争

　八犬士が皆家庭に縁うすいことは方々で指摘されている。「〈孝〉の犬士たち」で書いたように、犬士らはほぼそろって彼らの親と深い愛情で結ばれていたが、小文吾をのぞいて、みな少年のうちに実の親と死に別れ、あるいは生き別れしているのである。

　興味深いのは犬士のほぼ半数にとって、少なくとも片親の死が身内の争いに起因していることだ。犬塚信乃の場合、父・番作を切腹に追いこんだのは、番作が主君から（直接には父から）預かった宝刀村雨丸を奪おうとたくらんだ番作の姉夫婦であった。犬山道節は幼い時に父の妾、つまりは生さぬ仲の母といえる黒白によって実母・阿是非ともども殺害され土中に埋められながら、墓の中で息を吹き返し黒白の罪を告発（道節自身がこのときのことを覚えていないところから推すと、伏姫が道節の口を借りて言わせたのかもしれない）、結果黒白は処刑され、黒白の実子・正月も養女に出されるに至っている。

　すさまじいのは親兵衛で、深い事情があったとはいえ、父が母を斬り殺し、それに先だって親兵衛をも蹴り殺し、激怒した伯父が父を斬る、という血生臭い展開を経験している。

　こうやって幼少期に身内の争いで親を亡くした犬士を並べてみると、三人ともが｢〈未生〉犬士」なのである。のこる一人、毛野はどうかというと、彼の父親と腹違いの兄弟たちは馬加大記・籠山逸東太のせいで死んだのであって、家庭内に火種があったわけではない。もっとも毛野の父は妻と妾を一人ずつ持ち、それぞれに子をなしている（毛野はまだ母の腹の中であるが）。毛野が長じてのち示す（はずの）数々の麗質（美貌・智謀など）を思うと、いかにもお家騒動が起きそうな家族構成ではある。

　といっても粟飯原家の長男・夢之助は毛野より１５歳も年上なので、毛野が長男を押さえて当主に担ぎ出される可能性は低い。夢之助がよほど暗愚だというならあれだが、１５歳にしてきっちり切腹をやってのけ、関係ないが外見も美少年であった彼は、決して毛野に見劣りはしないであろう。妻同士も子供の年齢から察するに１０歳から１５歳くらい年が離れているだろうから、あまり嫉妬心も働かないのではないか。同じく父が妾をおいたために悲劇に見まわれた道節のケースとはえらい違いである。

　一方「〈未生〉犬士」でもないのに、身内の争い、地獄のような家庭生活を経験したのが、いうまでもなく「例外男」の犬村大角である。ただ彼の場合、争いといっても死人が出たわけではなく、実の父と実の弟（本当はどちらも「実」ではないが）に大角自身が虐待された過去がある、ということである。長じてからは、偽父とその妻のために目の前で妻が自害するというドロドロの極地を体験している。他の犬士と異なり、もはや少年とは言いがたい年齢であるうえ、〈家庭内紛争〉と呼ぶにはあまりに人外境の事件ではあるが。

〈ｂａｃｋ〉

〈ｈｏｍｅ〉

146007