〈純陽ならざる〉丶大

　完結も間近の第百八十勝回中編で、八犬士が共通してもっている痣がなぜ牡丹の花の形に似ているのかの謎解きがなされている。多少長くなるがほぼ全文を引用する。

　「丶大嘗（かつて）本草を按ずるに、牡丹は牝卉（めぎ）なし、這（この）故に宿根（ふるね）より叢生す。因（より）て名けて牡丹といふ。是に由りて之を見れば、牡丹は皆牡卉（をぎ）のみにして純陽の花なり。又八房の犬は、其母犬死して、狸児に乳育れたる牡狗にて、生涯対すべき牝狗を得ず、是も亦純陽の畜生なり。

こゝをもて那（かの）身の雑毛（ぶち）、形状牡丹の花に似て、其数八つあり。（中略）又八犬士は、各其父母ありといへども、那（かの）宿因を推す時は、伏姫上の御子にて、胞兄弟（はらから）に同じ。約莫（およそ）這（この）八個の弟兄は、皆男子なれば純陽なり。且各身に在る所の痣子、形状牡丹の花に似たるは、那八房に類（あやか）る兀自（ものから）、亦是弟兄純陽の義を表せしなり。しかれども、陽は独不立（ひとりたゝず）、陰は独不行（ひとりゆかず）。

（中略）且犬塚は浜路といふ、結髪（ゆひなづけ）の少女あり。又犬村は、雛衣といふ賢妻あり。則（すなはち）是、陽は独立（ひとりたゝ）ざるの義なり。〓（しか）るに浜路・雛衣、及犬江が母沼藺は、皆是良善心烈の婦人なるに、非命に那身を殺せしは、果報虚きに似たれども、こも亦故あり。譬（たとへ）ば草木の花開（さき）て、将（まさ）に実を結（むすば）まくする時に、必先（まづ）虚花（あだばな）あり。

這虚花ありて、後に実花あり。恁（かゝ）れば件の三婦人は、犬塚・犬村等が為に虚花なれども、其心烈貞実なる、名を千載の後に貽（のこ）さば、猶（なほ）千葉茶〓花（やへやまぶき）の実なくして、花を賞玩せらるゝ如し。素手に這虚花散て、浜路姫、鄙木姫の実花あり。こゝに至りて実を結びて、子孫繁昌すへき者なり。

又只、塚・村のみならず、八犬士功成名遂て、倶（とも）に八個の小姐（ひめうへ）を、各娶（めとり）まつるに及びて、陰陽配偶備れり。於是乎（こゝにおいて）純陽たる、牡丹の花の痣子耗（うせ）て、〓〓（いんやう）沖対（ちうたい）の義を表したり。」

　この牡丹の痣の解釈について、『八犬伝の世界』は〈牡丹の痣が真に意味するものを隠すためのフェイク〉であることを指摘しており、私もその通りだと思っているが、興味深いのはこの〈虚偽の謎解き〉を行うのが丶大法師だということだ。

　交合によらぬとはいえ伏姫と気を通じ八人の子を成した八房を「生涯対すべき牝狗を得ず」と〈未婚〉扱いにしているのは、留守中に伏姫を奪われた格好の丶大からすれば無理もないとはいえる。が、〈生涯対すべき相手を持たなかった〉というなら丶大自身だってそうなのである。また八房は生まれてまもなく母を失い狸に育てられたが、丶大も生後数日で母・濃萩を失い祖父に育てられている。身体に牡丹の痣こそないが、丶大もまた「純陽」の男なのだ。

　さらに「虚花」「実花」の解釈である。「「丶大」の名が秘めるもの」「安房の先住王」で書いたように、丶大はずっと八房が占め続けてきた伏姫のパートナーとしての位置を取り戻そうとしてきた。そして「丶大を〓て親兵衛念戌富山に到る」の挿絵を見ると、伏姫の隣から八房の姿は消え、変わって丶大が座している。この第百八十勝回中編をもって彼はかつて富山で失敗した伏姫の奪還を、実に四十二年を経て成し遂げたのである。ということはつまり八房は「虚花」、丶大は「実花」ということになるのではないか。

　丶大の言葉によれば犬士の痣が消えたのは、彼らが結婚したことで「陰陽配偶備」ったからだそうだが、『八犬伝綺想』が言うように、八犬士の結婚は十五年も前であり、今この時期である必然性がない。痣が消えはじめたのは東西和睦のころからではあるが、これにしても時期が一年ほどずれている。むしろ痣が消えた原因は八犬士が純陽でなくなったからではなく、丶大が〈純陽でなくなった〉こと、その彼が八犬士の〈父親〉となったことにあったのではないか。

　かつて丶大は富山で八房を撃ち殺しそのさいに伏姫をも誤射したことで、結果的に彼らの〈心中〉に水を挿した。さらに伏姫に銃弾を撃ち込んだことで、彼女の腹中にいた八犬士に彼の気を与えたと思われることは「「丶大」の名が秘めるもの」で書いた通りである。その意味でも丶大は八犬士の〈父親〉なわけだが、やはり第一の〈父親〉は伏姫を懐妊に導いた八房であっただろう。

　しかしラストにきて丶大は伏姫の夫としての地位を確保し、それにより〈八犬士の父〉としての位置も八房から奪いとった。その予兆は犬士が金碗氏を名乗るというエピソードによってすでに示されていた。そして伏姫の夫となったということはすなわち丶大は〈純陽ではなくなった〉ということである。

　それは同時にこれまで伏姫のパートナーでありながら牡丹の痣を相変わらず保持していた八房は所詮伏姫の夫たりえなかった、という意味ともなる。そして父が純陽なる八房から純陽ならざる丶大に変わったことで、父からの遺伝による八犬士の痣は消えたのである。

　牡丹の痣が実際のところ何に由来するかはさておいて、丶大があえて〈虚偽の謎解き〉を行ったのは、ひとえに〈「虚花」八房にかわって「実花」たる自分が本来あるべき伏姫の夫＝八犬士の父の座を取り戻した〉ということを主張したいがゆえだったのではないかと思うのである。

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